ローマ教皇フランシスコについて

ローマ教皇フランシスコ
その他

※ 2020年8月更新

2020年、令和2年が始まりました。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年2019年、この年に出会った人で、
私の心に深く残ったのは、
ローマ教皇フランシスコと
写真家の安藤 誠さんのお二人です。

安藤さんのことはまた別の機会にお話ししたいと思います。
今回は来日したばかりのローマ教皇のことを。

私は教皇様の来日を楽しみにしていました。
カトリック教会推薦の映画「ローマ法王になる日まで」を
予習の為と思って観たところ、
どんな時代を生きていらしたかそれを知ることができて
感激し、2回続けて観てしまったほどです。

フランシスコ教皇来日の際は
東京ドームでミサをあげることが決まっており、
参加希望者多数の場合は抽選になるのですが、
日本のカトリック信者数は人口の0.3%しかいないのだから、
たぶん大丈夫だろうとたかをくくっていたら、
みごとに抽選に外れてしまいました。

でも、YouTubeの生中継のおかげで、
自宅にいながら、ミサに参加することができました。

38年ぶりのローマ教皇来日は信者でなくとも、
大きな影響を与えたということは、
バチカンに帰国された以降も
連日新聞で取り上げられることからもわかるというものです。

目次

カトリックのトップ、ローマ教皇

サンピエトロ広場

サンピエトロ広場

私ルーポはカトリックであるゆえ、
世界のカトリック信者を引っ張って行かなければならない
教皇様の動向は少なからず関心がありました。

私が洗礼を受けたころの教皇様は
第264代ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世。
世界平和を願う温和な人柄と行動力にあふれ、
とても好きな教皇様でした。
退任されたときは寂しい気持ちがあったのを覚えてます。

次の教皇第265代ベネディクト十六世に関しては、
実はあまり関心がなく、注目もしなかったのですが、
時代の流れに乗り、メディアに登場したり、
SNSを始めたりした試みには驚きました。
思想的には超保守派であったようです。

前ローマ教皇ベネディクト16世

第265代ローマ教皇ベネディクト16世

ベネディクト前教皇が719年ぶりに生存中に退位し、
2013年にコンクラーベによって、
全世界の選挙権のある枢機卿115名の中から、
5回の投票を経て選出されたのが
ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿です。
今回、来日した266代目の新教皇様。

しかしこの266代目は初めて尽くしの教皇になります。

初めて尽くしの新ローマ教皇

史上初~教皇名はアシジのフランシスコ

洗礼名と教皇名

カトリックの洗礼を受けるとき、
自分の好きな洗礼名をもらうのですが
日本人の場合はたいてい聖人の名前をもらいます。

私の洗礼名はフランシスカ。
アシジの聖フランシスコの女性名です。
聖フランシスコは動物と自然環境の守護聖人と聞いて
迷うことなくフランシスコにしました。

洗礼名のように、教皇に選ばれると教皇名を決めることになります。

今までの歴代教皇はヨハネ、ベネディクト、
ピオといった名前が多かったのですが、新教皇はフランシスコを選びました。

フランシスコを選んだ教皇は史上初めてです。
日本でなじみ深い聖フランシスコ・ザビエルのフランシスコではなく、
アシジ(イタリアの都市名)の聖フランシスコです。

アシジの聖フランシスコとは

アシジの聖フランシスコ像

アシジの聖フランシスコ像

アシジの聖フランシスコは裕福な家庭に生まれて、
最初は自堕落な青春時代を過ごしたものの、
戦争や病に伏せるなどの過程の中、
夢でキリストに出会い、出家を決心します。
その後は、清貧を愛し、小鳥に説教したり
オオカミと心を通わせたりしたという逸話は有名で、
動物と自然環境保護の守護聖人となっています。

新教皇が名前を(アシジの)聖フランシスコにしたと聞いて、
それはそれは嬉しかった。
彼はきっと自然環境を守るため、きっと何かしてくれると
そう思ったし、自分と同じ聖人の名前であることが、誇らしかったです

史上初~出身地はアメリカ大陸

今までの教皇は、ほぼヨーロッパから選出されていたのですが、
新教皇フランシスコは南米アルゼンチン出身者になります。

ヨーロッパ出身以外の教皇というと、
シリア出身の第90代グレゴリウス3世以来、
1272年ぶりであって、かつアメリカ大陸では史上初になります。

南米アルゼンチンはカトリック信者が80%近くですから、
自国から教皇が出たことは大変な誇りであると思います。

史上初~イエズス会出身

イエズス会とは

神父(司祭)は教区に属している人と修道会に属している人がいて、
神父だからといって、必ずどこかの修道会に入っているわけではないのですが、
ホルヘ・マリオ・ベルゴリオはブエノスアイレス大学で
化学の学士号を取得した後、
21歳の時に司祭への召命とともに、イエズス会に入会しています。
その理由のひとつは自分をより厳しく律するためだったそうです。

イエズス会は男子修道会で、宣教や教育を主な目的とし、
世界に2万人あまりの会員がいる大きな修道会です。

日本にキリスト教を初めて伝えたことで有名な
フランシスコ・ザビエルはイエズス会創設者の一人です。

また東京の上智大学を設立経営しているのもイエズス会で、
今回のフランシスコ教皇も、忙しい日程の中、
上智大学に足を運んで、
学生や司祭らとお会いになりました。

映画「ローマ法王となる日まで」の中でも描かれていますが、
司祭になったばかりの頃のホルヘ・マリオ・ベルゴリオは
日本に宣教師として行くことを切望しました。

その時は健康上の理由から却下されてしまいましたが、
もし彼が日本に派遣されていたら、
教皇フランシスコは誕生していなかったかもしれないと
イエズス会の司祭のひとりは言っています。

ホルヘ・マリオ・ベルゴリオはどんな人?

新教皇ホルヘ・マリオ・ベルゴリオは
アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで
イタリア系移民の子として生まれました。
5人兄弟の4番目。

ブエノスアイレス大学では化学を学び、学士号をとっていることをみても
スピリチュアルなことだけで、神父になったわけではないのではないでしょうか。

アルゼンチンの地元サッカーリーグ
「サン・ロレンソ・デ・アルマグロ」の熱狂的ファンで、
アルゼンチン・タンゴを踊り、クラッシック音楽も好き。

しかし、少し音痴らしい。
歌ミサはちょっと苦手のようですよ。

カトリックでは「歌は祈りを倍にする」という言い伝えがあるので、
大事なミサの時は聖歌のみならず、普段は祈る箇所も歌うことがあります。
たいていの場合、先唱は神父様が行うので、
神父様が歌ったときは続けて信徒も歌うのです。
やはり、歌の上手な神父様の時は、厳かに聖堂に響き渡る声に
ホレボレするものです。

ホルヘ・マリオ・ベルゴリオは
「僕が歌ったら、教会から信者がいなくなってしまう」と笑ったそうです。
しかし、それは子供の頃、病気で片肺の一部を切除したために、
あまり激しい運動や歌は息切れしてしまうということにも
原因がありそうですね。

私はフランシスコ教皇を知るにはやはり
一番「ローマ法王となる日まで」の映画を観てほしいなと思います。

フランシスコ教皇の行動には、上っ面な綺麗ごとではない、
心からの平和への願いがあります。
なぜ、戦争や暴力を嫌い、核兵器廃絶を願い、
貧しい人々と共に歩むことを誓ったのかが、
映画を観るとわかると思います。

https://youtu.be/zRNhNPfyE-s

参考資料:ドン・ボスコ社 教皇フランシスコ 別冊「カトリック生活」教皇来日記念号

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